どこからかけてもスマホに着信が届かないという現象だけ見るとわけわからんトラブル(,,゚Д゚)(症状と原因)

○以下の文章は、こういう現象がMVNOキャリアのスマホで起こった、その現象と原因と対応策を書いたものです
・スマホでデータ通信も、音声発信も、SMSの着信もできるのに、着信の時のみ「電源が入っていないか電波の届かないところにいます」と言って着信できない。しかしその着信通知のSMSは受信できる。

いや、結局昨日対応してくれた新宿ヨドバシのIIJ窓口の人が一番疲れたんだろうけど(,,゚Д゚)

事の起こりはというと、どうも使っているPC(Lenovo ThinkCentre m75q)がUSB接続部がいくつも壊れたりしてそろそろどうも使えない状態になりつつあったので、更新するしかなくて、ただ一括払いではつらいので、分割払いにしようと、Lenovoが扱っているJACCSの分割払いに申しこんで、その結果が一昨日の夕方来ることになっていたのだが、それが、スマホがうんともすんとも成らずに「不在着信」というSMSが届いていた状態。
で、すぐ連絡が来るのかなーと思っていたら、昨日また同じ「不在着信」のSMSが届いていたので、SMSの中にある電話番号にかけてみたら「お電話をしたのだが、「電波が届かないか電源が入っていません」といわれる」とのこと(,,゚Д゚)
いや、今まさにそのスマホで話しているので、電波や電源に問題はないはず(,,゚Д゚)
そして、スマホにちゃんと着信することも審査のうちなので、じゃあこの電話でそのまま、というわけにもいかないらしい(,,゚Д゚)

で、いろいろ電話かけ直してもらったりで確認した結果で、現象をまとめたところ、だいたいこんな感じ。
・Wifiじゃない、通常のケータイ回線でのデータ通信は問題なく行える。
・このスマホからの発信は正常に行える
・ところが、このスマホ宛に発信を行うと、「電波が届かないか、電源が入っていない」というアナウンスが流れる(=キャリア側ではこのスマホ、というかSIMがどこにあるのかが確認出来ていない)
・しかし、その着信できない、というSMSはスマホにちゃんと着信できる(=SMSは電話番号宛に発信されるので、キャリア側はこのSIMの入ったスマホの場所がちゃんとわかっているはず)

という、わけわからん状態。
で、キャリア(IIJmio)のサポートセンターに問い合わせの電話をかけると、
・4Gと5Gのオプションの設定をoff-onして(スマホの再起動も)確認して欲しい
・あとは、SIMを他のスマホに入れ替えて確認して欲しい
という回答

ちょっと前だと、代替のスマホの1台や2台はあったんだけど、ちょっと手元で見つからない状態。あれー、どこに置いたっけ?(,,゚Д゚) ZenfoneのM1は正常に動作するものがまだあった筈なんだが(,,゚Д゚) となったので「手元に代替のスマホがなければどうしたらいいですか?」とサポートセンターに問い合わせると、なかなか、ワンダフルなお答え(,,゚Д゚)
「お近くの家電量販店とかで端末を借りて頂けますか?」
へ?(,,゚Д゚) いや、別に買うとかじゃないのに、使えるスマホをそうホイホイ貸してもらえます、普通?(,,゚Д゚) そう質問をぶつけると「しばらくお待ちください」の後「弊社のSIM販売を展開している量販店のご案内をしますから、そちらで確認して頂けますか?」と、新宿のヨドバシとビックの案内(,,゚Д゚)

で、お医者に行くので都心に出る用事があったので、最悪じゃんぱらとかで中古端末買うか、と思いながら新宿西口を巡って、安いのあったらヨドバシでSIMフリースマホ買うか、と、入ってみたら、IIJmioの窓口があって担当者が(社員じゃないだろうけど)いたので、駄目元で、切り分けだけさせてもらおうと、症状説明してみたら、親切に設定とか見て頂いて、キャリア側のサポセン(大サポセンといってた)に問い合わせて、業務スマホにSIM入れ替えて同じ現象なのを確認して、スマホの設定のなかをなめるように確認して……と、約2時間(,,゚Д゚)
いや、これ、さすがにどうしようもないよなー。業務スマホにSIM入れても同じ現象が出ると言うことは、代替のスマホ買ってもだめな可能性大だし、電話番号が変わるとそもそもの分割払いの審査に問題が出るし、こうなったら、他社のSIM買ってMNPかけてSIMカードとキャリアごと変えるしかないのかー、といったところで。別の担当者が「ちょっと駄目元で」とある操作をしたら。

解消したー(,,゚Д゚)

何の操作をしたのかというと。
キャリア側の回線での設定で転送設定を行う機能。あれで転送の解除の番号をキャリアに送信した、というだけ(,,゚Д゚)

つまり、おかしくなっていたのは、キャリアでおそらく全着信をどこかの番号に転送する設定があって、その転送先がおそらくケータイキャリアで電源等が入ってない(というか誰も所有していない可能性大)なので、「電源が入っていないか、電波が届かない場所」なので、不在着信のSMSがちゃんと手元の端末に届いていた、ということ。

ええええええええええええええ(,,゚Д゚)

ここで問題点は、いつそんな設定が入ったのか。
発信履歴を見てみると、転送設定を行っていたのは2019年が最後。これって、この前の端末からそのまま引き継いだもの(同じSHARPのAquosスマホなので移行サービスで前の端末の発着信履歴を移行している。今の端末は2021年購入)だから、考えられるのは、
・2019年以降、今回の状態になっていた
・キャリアの方で、そういう転送設定が誤って入っていた
(一応理屈の上では、他の電話回線から特定の番号にかけて設定可能だが、暗証番号が必要だし、逆にこの端末(あるいは前の端末)以外から転送設定のためにかける可能性はほぼない)
だけど、後者はまずあり得ない(あったらキャリア(au)の大問題になる)から、前者か。で、見てみたら、確かに発信履歴は山ほどあるけど、着信履歴はその転送設定よりあとにはない。うわー、なんか着信でとった記憶があったんだけど、それは転送設定より前か、着信をとりそびれて不在着信通知の番号にかけ直していたのを「着信でとった」というつもりだったのか(,,゚Д゚)

だけど、それだと、発信履歴で見る限り、転送先はSkypeの電話番号オプションの番号への転送で、それはまだ現在も有効なんだよなー(,,゚Д゚) なんでそんなこと、というと、このIIJmioのSIM(回線はau回線)って海外では使えなかった(最近全然海外行ってないから、そこが改善されたかどうかは不明)ので、海外に居るときにケータイに着信したときにSkype転送して、海外でSkype(PC)で着信できるようにしていたのよ(,,゚Д゚) で、その時に転送して受けられるか、国内で確認していたので、今回のような状態にはならないはず。
とか、不明な点があって、なんならもう一度検証とかもしなきゃいけないんだけど、とりあえず今は海外に行く予定もほぼないし、問題の着信はちゃんとできるようになったので、ひとまずはいいや、という状態に(,,゚Д゚)
ただ、Skypeへの転送自体はもういっぺんどこかで確認しておいた方が、便利なのは確かだしね(,,゚Д゚)

あと、なんで今回の問題がわかりにくいかというと、この転送設定、提供しているのがIIJmioでなくauな上に、スマホなどの設定画面とかでは一切その項目がないから、スマホの設定をどんだけなめるように確認しても出てこないわけで。
そういう意味では、かなりレアな設定原因の問題で、しかも(一応それなりにITやスマホとかは好きで触っている)あたしやIIJmioの窓口の人(2時間ずーっとググったりいろいろしてくれた)が検索して同じケースが見当たらなかったので、Blogとnoteにこの文章を上げといて、後に同じパターンにハマった人のために記録(,,゚Д゚)

どっとはらい、っと(,,゚Д゚)いや、結局昨日対応してくれた新宿ヨドバシのIIJ窓口の人が一番疲れたんだろうけど(,,゚Д゚)

事の起こりはというと、どうも使っているPC(Lenovo ThinkCentre m75q)がUSB接続部がいくつも壊れたりしてそろそろどうも使えない状態になりつつあったので、更新するしかなくて、ただ一括払いではつらいので、分割払いにしようと、Lenovoが扱っているJACCSの分割払いに申しこんで、その結果が一昨日の夕方来ることになっていたのだが、それが、スマホがうんともすんとも成らずに「不在着信」というSMSが届いていた状態。
で、すぐ連絡が来るのかなーと思っていたら、昨日また同じ「不在着信」のSMSが届いていたので、SMSの中にある電話番号にかけてみたら「お電話をしたのだが、「電波が届かないか電源が入っていません」といわれる」とのこと(,,゚Д゚)
いや、今まさにそのスマホで話しているので、電波や電源に問題はないはず(,,゚Д゚)
そして、スマホにちゃんと着信することも審査のうちなので、じゃあこの電話でそのまま、というわけにもいかないらしい(,,゚Д゚)

で、いろいろ電話かけ直してもらったりで確認した結果で、現象をまとめたところ、だいたいこんな感じ。
・Wifiじゃない、通常のケータイ回線でのデータ通信は問題なく行える。
・このスマホからの発信は正常に行える
・ところが、このスマホ宛に発信を行うと、「電波が届かないか、電源が入っていない」というアナウンスが流れる(=キャリア側ではこのスマホ、というかSIMがどこにあるのかが確認出来ていない)
・しかし、その着信できない、というSMSはスマホにちゃんと着信できる(=SMSは電話番号宛に発信されるので、キャリア側はこのSIMの入ったスマホの場所がちゃんとわかっているはず)

という、わけわからん状態。
で、キャリア(IIJmio)のサポートセンターに問い合わせの電話をかけると、
・4Gと5Gのオプションの設定をoff-onして(スマホの再起動も)確認して欲しい
・あとは、SIMを他のスマホに入れ替えて確認して欲しい
という回答

ちょっと前だと、代替のスマホの1台や2台はあったんだけど、ちょっと手元で見つからない状態。あれー、どこに置いたっけ?(,,゚Д゚) ZenfoneのM1は正常に動作するものがまだあった筈なんだが(,,゚Д゚) となったので「手元に代替のスマホがなければどうしたらいいですか?」とサポートセンターに問い合わせると、なかなか、ワンダフルなお答え(,,゚Д゚)
「お近くの家電量販店とかで端末を借りて頂けますか?」
へ?(,,゚Д゚) いや、別に買うとかじゃないのに、使えるスマホをそうホイホイ貸してもらえます、普通?(,,゚Д゚) そう質問をぶつけると「しばらくお待ちください」の後「弊社のSIM販売を展開している量販店のご案内をしますから、そちらで確認して頂けますか?」と、新宿のヨドバシとビックの案内(,,゚Д゚)

で、お医者に行くので都心に出る用事があったので、最悪じゃんぱらとかで中古端末買うか、と思いながら新宿西口を巡って、安いのあったらヨドバシでSIMフリースマホ買うか、と、入ってみたら、IIJmioの窓口があって担当者が(社員じゃないだろうけど)いたので、駄目元で、切り分けだけさせてもらおうと、症状説明してみたら、親切に設定とか見て頂いて、キャリア側のサポセン(大サポセンといってた)に問い合わせて、業務スマホにSIM入れ替えて同じ現象なのを確認して、スマホの設定のなかをなめるように確認して……と、約2時間(,,゚Д゚)
いや、これ、さすがにどうしようもないよなー。業務スマホにSIM入れても同じ現象が出ると言うことは、代替のスマホ買ってもだめな可能性大だし、電話番号が変わるとそもそもの分割払いの審査に問題が出るし、こうなったら、他社のSIM買ってMNPかけてSIMカードとキャリアごと変えるしかないのかー、といったところで。別の担当者が「ちょっと駄目元で」とある操作をしたら。

解消したー(,,゚Д゚)

何の操作をしたのかというと。
キャリア側の回線での設定で転送設定を行う機能。あれで転送の解除の番号をキャリアに送信した、というだけ(,,゚Д゚)

つまり、おかしくなっていたのは、キャリアでおそらく全着信をどこかの番号に転送する設定があって、その転送先がおそらくケータイキャリアで電源等が入ってない(というか誰も所有していない可能性大)なので、「電源が入っていないか、電波が届かない場所」なので、不在着信のSMSがちゃんと手元の端末に届いていた、ということ。

ええええええええええええええ(,,゚Д゚)

ここで問題点は、いつそんな設定が入ったのか。
発信履歴を見てみると、転送設定を行っていたのは2019年が最後。これって、この前の端末からそのまま引き継いだもの(同じSHARPのAquosスマホなので移行サービスで前の端末の発着信履歴を移行している。今の端末は2021年購入)だから、考えられるのは、
・2019年以降、今回の状態になっていた
・キャリアの方で、そういう転送設定が誤って入っていた
(一応理屈の上では、他の電話回線から特定の番号にかけて設定可能だが、暗証番号が必要だし、逆にこの端末(あるいは前の端末)以外から転送設定のためにかける可能性はほぼない)
だけど、後者はまずあり得ない(あったらキャリア(au)の大問題になる)から、前者か。で、見てみたら、確かに発信履歴は山ほどあるけど、着信履歴はその転送設定よりあとにはない。うわー、なんか着信でとった記憶があったんだけど、それは転送設定より前か、着信をとりそびれて不在着信通知の番号にかけ直していたのを「着信でとった」というつもりだったのか(,,゚Д゚)

だけど、それだと、発信履歴で見る限り、転送先はSkypeの電話番号オプションの番号への転送で、それはまだ現在も有効なんだよなー(,,゚Д゚) なんでそんなこと、というと、このIIJmioのSIM(回線はau回線)って海外では使えなかった(最近全然海外行ってないから、そこが改善されたかどうかは不明)ので、海外に居るときにケータイに着信したときにSkype転送して、海外でSkype(PC)で着信できるようにしていたのよ(,,゚Д゚) で、その時に転送して受けられるか、国内で確認していたので、今回のような状態にはならないはず。
とか、不明な点があって、なんならもう一度検証とかもしなきゃいけないんだけど、とりあえず今は海外に行く予定もほぼないし、問題の着信はちゃんとできるようになったので、ひとまずはいいや、という状態に(,,゚Д゚)
ただ、Skypeへの転送自体はもういっぺんどこかで確認しておいた方が、便利なのは確かだしね(,,゚Д゚)

あと、なんで今回の問題がわかりにくいかというと、この転送設定、提供しているのがIIJmioでなくauな上に、スマホなどの設定画面とかでは一切その項目がないから、スマホの設定をどんだけなめるように確認しても出てこないわけで。
そういう意味では、かなりレアな設定原因の問題で、しかも(一応それなりにITやスマホとかは好きで触っている)あたしやIIJmioの窓口の人(2時間ずーっとググったりいろいろしてくれた)が検索して同じケースが見当たらなかったので、Blogとnoteにこの文章を上げといて、後に同じパターンにハマった人のために記録(,,゚Д゚)

どっとはらい、っと(,,゚Д゚)

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Apple Event 2021 Spring

個別のスペックやなんやらはもうAppleのページに載ってるので略。感想だけ。

メインはiMacとiPadPro。どちらもM1搭載。あとThumnderBolt4と言う名目でUSB-Cに移行したかな。
ちなみに、どちらも4/30受注開始、5月後半発売。iPhone12の新色パープルも同じなので、やはりTSMCの火災や停電などでの生産に相当支障出ているような気がする。

iMacは、ブラウン管ディスプレイ時代を思わせる7色展開。たぶん、家庭の据置用途を見越してかな。iPadProが限りなくモバイルPCに近づいた以上、家庭用のmacはMBAやMBPではなくなったということかも。リモートワークとか考えても一体形需要はそれなりにあるだろうし、画面サイズもある程度欲しいしね(今回24inchになった)。
お値段がフル装備でも税込20万円以内だけど、メモリが8GB固定(通常のPCと違ってスマホと同じSoCと言う形態なので、メモリ増設は多分不可能)なのをどう捉えるか。まぁ、この機種で画像や動画をバリバリに使うことは想定してないかも。

でiPadPro。こちらにもM1を搭載。ほぼ13インチの機種にはバックライトLEDを小型化して大量に搭載して部分部分の明るさのコントロールまでやるディスプレイを搭載。
というか、M1搭載でiPadProは完全にPoorman’s MacBookProになった感じかなぁ。タブレットとしては異例の2TBストレージモデルを用意したのもその辺の用途想定してだろうし。
まぁIntelから切り替えたiMacと違って前からAシリーズのSoC使っていたから、定価が下がるはずはないけど、それでも13インチモデル、Wifiだけで13万円、5G対応で15万円からか(つまり、ストレージ容量が128GBから増えればより高くなる)。本当に仕事に使うPC(それもどっちかっというとクリエイター用途)でないと、ちと高く感じるかなぁ。まぁ、だからこそのProなんだけどね。

Appleのエコシステムにどっぷりだと便利そうなタグ「AirTag」が便利そう(iPhoneなどと同じ感覚で「探す」機能でものを探せる)だけど、これは敬虔な信者に対する御利益かなー(,,゚Д゚) 「探す」を「サードベンダーに解放」はたぶん、Androidスマホをmacで探せるんじゃなくて、こんな感じのアクセサリーがサードベンダーから出てくるってことだろうなぁ(,,゚Д゚)

うーん。紆余曲折あったけど、ジョブズが最初にMacintosh128K作った時の理念というか思ってたことが、ある意味結実してるんだよなー、iMacにしろiPadProにしろ。一応SEよりもずっと標準準拠と拡張性もあるしねぇ。
でも、なんか「あの頃の未来にボクらは立っているのかなぁ」感は否めないんだよなぁ。なんか息苦しさがあるし、価格帯もお意識高い系な方々が「あら、思ったよりは(思わされているのはこのイベントみたいな感じで何か素晴らしいものだと思い込まされている部分も多いんだけどね)お安いですわね」という感じのところが定着しちゃったし。ジョブズがこだわったデザインを意識高く作る為の「再生アルミ100%」だろうしねぇ(再生アルミの方が間違いなく使用電力は小さいんだが、製品コストとしてどうなのかが分かんない)
あの頃の未来にボクらは立っているのかなぁ。あれから僕たちは何かをスンドゥブチゲ高菜(,,゚Д゚)

まぁ、日本をはじめとしてトップメーカーのPCやタブレットがほぼ壊滅状態なので、そういう「Appleへの帰依」辺りを気にしない人へのパッケージ製品としてはいいと思いますよ。知らんけど(,,゚Д゚)

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20210223 三遊亭遊雀独演会「遊楽座 2」 あるいは「引き算の死神」 @下北沢【劇】小劇場

ちょっと先に書かないとと思っていた感想を書いてホッとして、そのまま落ち着いて、気がついたらもう3月も半ばというので、まだ辛うじて記憶に残っているうちに書いておかないとと、雑にだけど感想を。末廣亭3月上席はまぁTwの感想でごまかすとしても、「新作冒険倶楽部」の残り2人の感想、遊雀オンライン寄席Vol.3、遊雀・遊かり親子会Vol.16、遊かり独演会Vol.6、と、この師弟が結局3週間続いたので、もう忘れてしまったことも多すぎるのよ(,,゚Д゚)

で、「遊楽座 2」も、一席目の「崇徳院」はちょっとパス。前に聴いたのと又風味が違っていたのは間違いないんだけど、もう記憶から抜けている。
なので、ここからは「死神」についてのみ。あ、ネタバレせずには多分書けないので、それなりのお覚悟とご容赦を。

「死神」って演目は、噺家にとって、何か手を入れたくなる欲求に駆られる話の構造になっている。Wikipediaの「死神」にわざわざ「オチのバリエーション」の一項目があって、先人たちがどういろいろ改変してきたのかが一覧になっている。
SFの短編に「冷たい方程式」という作品がある。星間を飛行するために搭載する重量から算出したギリギリの燃料しか積んでいない宇宙船に少女が密航した。このままでは宇宙船ごと目的にたどりつけない。さて、どうするか。オリジナルは「冷たい方程式」のタイトル通り、規則通り密航していた少女を船外に放出して終わりなのだが、なんとかできないかと、様々な作家がいろんなアイデアを出して、「冷たい方程式もの」という1ジャンルにまでなっている。
オチだけでも、火は移せるのか移せないのか、移せたとしてその後どうなるのか。
登場人物、男はなぜ貧乏で死のうと思ったのか。
そもそも死神は何者なのか。死神とはいえ「神」なのか、それとも人のなれの果てなのか。男と何か因果関係があるのか、何もないのか。
いままで、何人かの、それぞれの解釈の「死神」を聴いてきて、いくつもの解釈に考えさせられてきた。
ただ、その様々な「死神」には、1つ共通点があった。話を変えたり、追加の設定を入れたり、様々な工夫を入れていくということで、ある意味、飛躍はあっても話はさほど複雑ではない「死神」という話に、納得のいく要素を盛り込もうとして、「足し算」をしてしまう人が多かった。

で、遊雀師匠の「死神」は、逆だった。「引き算」。死神を神として「人間、辛いときには寄り添ってくれる神様というものがいる」と死神の定義だけをして、あとは余分なものをどんどんそいでいく。男が貧乏で死のうとする理由もなぜ貧乏になったかの説明もない。死神が男を助けるのも「縁があったんだからしょうがない」と、「大工裁き」とかでだらしない子分の面倒を見る棟梁のような感じ。そこから大もうけをした後の散材も、別にだらしなさやなんだのない「いつの間にかお金って消えるもの」という説明だけ。
そして、クライマックス。死神は「俺のことはいいんだよ」といいながら、寿命の蝋燭の間に連れてくる。で、移し替える蝋燭も「誰かの力尽きた蝋燭」みたいな何かの思い入れがない「そこらに転がってる蝋燭」に火を付けかえさせる。
ここまで全て、いろんな解釈や飛躍のある部分を埋める設定の追加などは、一切ない。手元に「死神」の圓朝作のオリジナルがないから(100円の42編まとめた安物のKindle本なので)それに近いくらい削っているのか、あるいはそれよりも更に削っているのか。
でも、「人に寄り添う神」という枕や面倒見のいい死神、男にも因果応報みたいな要素はほぼないただの不幸だった男。そういう表現についてはいつも通りに細かいディテールを積み重ねて、でも要らない推測を呼び起こす要素を削りに削った「引き算」の死神。ここまで「引き算」で骨格だけに近い「死神」を聴いたのは初めてかも。

で、ここで一つ、手品・マジックでいうところの「ミスディレクション」が起きている。
遊雀師匠のいつもの芸風や演目。ここまで、男に決定的に悪かったことは、布団回しくらいしかないし、死神も「俺のことはいいんだよ」。そして、枕の「辛いときに寄り添ってくれる神様」。
いや、思ってたんですよ。もしかして、遊雀流の「死神」は、けじめだけ付けさせて、上手く収めるようにするんじゃないかな、と。
蝋燭の火が上手く移った、その瞬間までは。

「でも、お前には死んでもらわなきゃいけないんだよ」
そして、吹き消される蝋燭。

なぜ、という理屈も、因果も、わざわざ蝋燭の火を移させたり意味も、一切の納得する材料はない。

うん。普通の「死神」が、どこかに男がそうなっても仕方がない部分がある、因果応報な要素がある。でも、「引き算」の死神にはそれがほとんどなく、しかも突然にやってくる。
神の気まぐれという不条理。そこまでの面倒見の良さをすっかり忘れたかのような「あばよ」というサゲ。
「死神」は、布団回して一度いい感じになってそこからどんどん恐くなるという構成なんだけど、遊雀版では、その中にも希望というかハッピーエンドの可能性を随所に残して、火が移ったところでよかったと思わせたところから一気に奈落に落とす。うん、季節外れだけど、まさに「怪談」の真骨頂。

たぶん、一番似ているのは、桂春蝶の「死神」かなぁ。噺の工夫とかは全然違っていたけど、終演後の送り出しの時にちょっとお話しさせて頂いたときにおっしゃっていたのが。
「死神も、男を助けようとして、でも一番最後にやっぱり死神の側面が出てきたんでしょうねぇ」
一神教でない八百万の神の国で、しかも付喪神みたいな「これも神様なのか」みたいなのもいるような国の文化に触れていると、圧倒的な力の差と人には計り知れない思考。「寄り添ってくれる神」というのは、同時に「畏怖」に値する神でもある。そんなことを思い出させる「死神」でした。

という感じかなぁ。

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20210224 新作冒険倶楽部Vol.6 @ 無可有

<一時的な前説> 諸般の事情で、全3作の感想の1つだけ先に書いてアップしてます。他2作についてはあとから追記します。</一時的な前説>

さて2人目、遊かりさん。「わきまえる一門」
えーと、面白かったかつまんなかったかの二択でいえば、「つまんなかった」になるんだけど、それだけを帰り際に言ったり、それに多少の言葉を足してTwitterにアップしたら、なんというか「適切な感想」にならない気がしたので、いつもなら一言でもフィードバックをするのに何か感想を言うんところを今回はパスした。代わりに、ちとこの感想だけ急いで先に書いてBlogにアップする。
(と言うわけで、あとから読んでいる人には気づかないように残りを書くつもりだけど、この新作の感想だけ先に書いてアップしてます)

あたしが「つまんなかった」とした理由は2つ。
1つは「Not For Me」な噺だったこと。この噺は、いわゆる「森東京五輪組織委員会会長の失言」とされるものが元ネタの噺で、あれに瑕疵がないとはいわないがそこまでの話ではないと思ってるあたしには、うん、「つまんなかった」のよよねー、元になる時事ネタ的に。(これはあくまで新作落語の感想なので、これ以上はここでは説明しないけど、直に対面して訊かれたらなぜそこまでの話じゃないのか説明くらいはしますが(,,゚Д゚))
んまあでも、それでも面白きゃいいのよ。快楽亭ブラック(えーと、今は「被告福田」なのかw まぁ、一時的なもんだし)がネタの中であたしが好きなタロサこと麻生太郎をケチョンケチョンに扱ってるネタもあったりするけど、面白いからいいし、それで聞かないとかあり得ない。そも、政治家やトップの人ってそうやって揶揄されるのもある程度社会的な役割だったりするものではあるし。飲み屋で平社員に「ホント、うちの社長の馬鹿がよー」とか愚痴言われるのと同じで、ね。

うん、もう1つの「つまんなかった」理由がここで。
まぁ、遊かりさん、あの「失言」に腹立ったんだろう。まぁ、それは否定しない。でも、この噺はその怒りをたたきつける「棍棒」にしかなっていない。あ、まぁ「Not For Me」だったあたしだからそう書いているけど、うん、作ろうとした笑いよりも、腹の立った対象にそれをぶつけてスッキリする方が上回ってる、感じかなぁ。
もしかしたら、「林会長」が実は裸の王様なのをこき下ろしたら笑いになると思ってたのかもしれない。でも、世の中でそう評価が定まっていない時事ネタだと、そう簡単じゃないんだよねー。あたしみたいな「Not For Me」な人もいるし、誰もが面白けりゃそれでよしと思っているわけでもない。

中入り後の立川吉笑さんがやはり時事ネタの新作を持ってきていたけど、あれ、誰かを攻撃しているネタじゃないでしょ、基本的に。感染した丁稚を責めるわけでもないし、うーん、まぁ、せいぜい関西弁化が病気扱いされている辺りだろうけど、それでも別に関西人を揶揄しているわけではないし(そも、吉笑さん自身が関西出身だから、差別ネタ(差別してないんだけど)の鉄則「演者が被差別側であること」も守っているし、あの関西弁は誇張しているから自分の日常使うものとは違うとしか思わないだろうなぁ、大半の関西人は)。作品の中で起こっている異常な現象そのものが面白くて、それが現実の時事とシンクロするから面白いし、笑いにちゃんと昇華している。

あるいは。昨日の遊雀師匠。たぶん浅草の方の「堪忍袋」連続読みwの中だったと思う(ちとうろ覚え)けど、堪忍袋に女房が愚痴を吹き込んでいるところにただ熊が「女は話が長い」と突っ込む。別に女性全般やある特定の女性を揶揄もしていない(まぁ、女房に怒ってる立て付けだけど)し、でも現実の発言とシンクロしているから、くすぐりとして成立して場内が爆笑になる。あれも一種の時事ネタではあるよね。で、笑いにちゃんと昇華している。
で、肝心なのは、遊雀師匠がそう思っているかどうかは全く入ってないんだよね。

ネタのきっかけが自分の怒りだったり憤慨だったりでもかまわないし、それが笑いに昇華されていれば全く問題ないとあたしは思う。でも、少なくとも今日の「わきまえる一門」では、そこまで笑いに昇華されていなかったし、それよりもそのきっかけになった自分へのストレスの解消のほうが先になっているように見えた。それで自分は愉快かもしれないけど、その愉快さは、笑いに似ているかもしれないけど、多分笑いでは無い。そういうつもりじゃなかったのかも知れないけど、だとしたら、噺に笑いの要素を盛り込み足りなかったのかなぁ。

よく、ウーマンラッシュアワーの村本が「時事ネタ、社会派ネタをしても評価されない」みたいなことを言ってるみたいだけど、違うよ。
ナイツの時事ネタ、社会派ネタは面白い。
ウーマンラッシュアワーの時事8ネタ、社会派ネタはつまらない。
それだけ。

「時事ネタは腐るぞ」(C)とり・みき、なので、このネタにこだわる必要はないのかも知れないけど、でも、実は「もう自分一人では起き上がれない立てない状態になっているのに、周りの力で第一人者として君臨していた」というアイデア自体は、割と汎用性があって、上手く転がしたら、時事ネタじゃない普通の新作でなんかまとまりそうな気もするんだけどねぇ。あと、ずっと黙って従ってたおばあさんが、口を開いたら実は一番恐かったとか(それこそ「堪忍袋」の奥様に似た感じになるかな)。

てな感じかなー。そこまでボロボロの作品だったわけじゃないしアイデアの芯の部分は工夫すれば面白そう。それに新作のネタ下ろしで当たり外れは当然だし、そんなものこちらも承知で行ってるんだけど、あの時のあたしの反応とかで、過度に自分にダメ出ししたり、時事ネタ封印してしまったらそれはそれで可能性摘んでしまいかねないので、この作品の感想だけはあわてて。

ってのを、帰り際の一言二言や、Twitterでその場でちゃかちゃか書き込めないでしょw じっくり考えたとかじゃなくて、噺を聴き終わった時点でもやっては思ってたことを言語化しただけなんだけどね(,,゚Д゚)

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20201122 三遊亭遊雀・遊かり親子会15@なかの芸能小劇場

演目:
蛙茶番 遊雀
夢をあきらめないで 遊かり
(お中入り)
鮫講釈 遊かり
芝浜 遊雀

また夜型にシフトし始めているようで、オードリーのANNの後に寝たはずなんだけど、9時と10時にしかけた目覚ましで10時に起きたつもりで、実はちょっと2度寝して11時に起きていたのに気がつかなくて、家を出てバスの時刻表をYahoo乗換案内で調べ始めたところで気がついて大慌てだった、と言う調子で、なんとか開場後開演前に到着したけど、軽く朝食べただけで行ってので、特に中入り後は「はらへったー(,,゚Д゚)」でいつ腹が鳴るかという結構な恐怖心に襲われながらの大トリネタ、よりによって静謐さが求められる展開でありました(,,゚Д゚)
まぁ、その辺の話は、演目順に話すこととして最後に。

まずは、遊雀師匠から。
親子会の出番がA-B-B-Aの二人会スタイルの出番になったのはちょっと前からだけど、今日の二人の演目と出来を見ていると、遊雀師匠の中ではこの会って、もうただの「親子会」ではなく「二人会」になってるんじゃないかなー。師弟に変わりないし、二番弟子が来ないから一門会にはならないけど。
で、お伊勢様でのエピソードから、蛙茶番へ。なかの芸能小劇場ってそこまで広い会場ではないけど、らくごカフェや道楽亭のような小さな会場ではないから、目の悪いあたしがそんなに細かいところが見えるはずがないのに、細かな動きまで見えるようで、それだけで笑わせられる。噺そのものが滑稽噺だから台詞だけでも面白いんだけど、そういう微に入り細に入りの仕草とかそういうのが積み重なって、サンキュータツオの言うところの「合気道の名人」という、ほんの呼吸のようなもので笑わせているようにも見えるのかも。まずは、いつもの「爆笑王の遊雀」という感じ。

そして、お中入り前の遊かりさんは、自作の新作「夢をあきらめないで」。
「新作冒険倶楽部」でのネタ下ろしで見ているから、そことの比較でいえば、多分もうある程度は細部とかも落ち着いた出来になってるんじゃないかなー。サカモト=サトウ=シバタの女子社員三人組(一昔前だとOLトリオだろうなー。「OL進化論」みたいな感じの)も作り物くさくない感じ、もともとあまりなかったけど更に自然な感じになってるし。
で、その後の某所の話だったり、お中入り後の「楽屋に帰ったら長いので師匠が寝てた」だったりもあって、長講一席の長さで、今日の内容からどこか削れるかというと、もうこれ以上削りようがないんだよねーたぶん。うん、三人組の雑談っぽいのも細かなくすぐりもこれ以上削ったらただの「あらすじ」になっちゃう。ともすれば、あたしみたいなオサーンだとタナカ部長(だいたいほぼ同じ年代の設定なんだよねーw)のキャラの肉付けすら欲しいくらいだけど、それはもう蛇足も蛇足になるし。
もうこのまま長講ネタとして、短くするのはあきらめて演じるときにあわせてアップデート(ほれ、あと7-8年もしたらバブルを知ってる世代なんて会社に居なくなるしw)していくか、三人組を二人に絞って整理したショートVer.を作るか。でも、オリジナルの方と両方覚えるのって大変だよなー。たぶん途中のどこかを省くとかじゃなくてもう一度構成をやり直すから、違う話1つ作るのと同じくらいになるはずで(,,゚Д゚)。
まぁ、ご本人もその辺はいろいろ考えているようだから、最適解は本人が考えるだろうけど、この話、特に遊かりさんと同年代より年下の女性にはウケるだろうから、一番いいのは、オリジナルでの口演を出来るような会そのものをいっぱいできるようになるのが一番なんだけどね、たぶん。

お中入り後は、遊かりさんで「鮫講釈」。謎かけの下りのないショートVer.。
遊かりさんでこの手のを聞いた覚えがあって、去年くらいからつけている聴いたネタ帳をひっくり返したら、去年の7月に同じ「鮫講釈」を聴いてたんだった。「やかん」もどっかで聴いた覚えがあったんだけど、誰かと記憶がこんがらがってたんだかあたし(,,゚Д゚)
うん、「やかん」だとあくまで素人がやかんのいわれを教えるのに講釈を始めるんだけど、「鮫講釈」だと曲がりなりにも旅の講釈師が今生の別れに講釈をはじめるから、本格的な講談じゃなくてもそれっぽくはやんなきゃいけないし、でもネタが変わった(それがくすぐりになる)のをお客に気づかせないといけないし、たぶん、本当に身体に音楽を覚えさせるようにしみこませないといけないから、噺家さんがやるのって結構難しいよねぇ。その点、兼好師匠に稽古つけてもらってやってた松之丞当時の神田伯山、ずるいよなー、本職だしwww
まぁ、でも噛んだところはさておきw、ほぼ出来てたんじゃないかなーと。扇子で「パンパパンパパンパン」とやる前のところが、甲高い声になるのは一龍斎貞船の語り出しと調子のあっている方をとるか、とにかく御陽気に明るくという感じをとるかの違いだから、そこは本人がどうしたいかだしねぇw でも、前に聴いたときよりはこの下りが格段に違っていたと思うんで。記憶こんがらがってるくらいなので、あてにならないけどさーw

そして、トリ。遊雀師匠の「芝浜」。もう、大きな会で行くと、このネタの時期かねぇ。
で、感想の前に。

あたしが時々、遊雀師匠の本寸法の、まさに本気(いや、普段が手抜きと言っているわけでなくw)の大ネタの時に、「抜き身の遊雀」と呼んでいたりする。一つは、最初の方に書いたサンキュータツオが、主に渋谷らくごの時に表現している「合気道の達人のように、呼吸一つで笑わせる」という表現から借りて、その合気道の達人が長物を抜いてきて真剣勝負のように、客席に息もつかせないような緊張感を漂わせる姿から。
もう一つは、今年引退してしまったレスラー、獣神サンダーライガーの名台詞「レスラーは誰も、懐にジャックナイフを持って、いざという時に抜けるようにしておかないといけない」から。普段は華麗な空中技とかを繰り広げるライガーだけど、元は藤原道場の関節技の使い手(藤原喜明が船木や鈴木と新日を離脱してUWFに移ったとき、ライガーも移ると思われていたくらいだし)だったりもするし、新日の道場には道場破りが来ていたからその相手もしないといけなかった。そういう時にちゃんと相手を仕留められるものを身につけておいてのプロレスラーだという哲学。
決して、大御所でございという感じでいつもそうなわけではなく、寄席で中程の出番だったり、相手を立てるようなとき、いや、今日の一席目とかのような客席を暖めたり沸かせたり、普段の出番ではそうだけど、いざという時にはまさにそういう「抜き身」を取り出してきて、客を高座に集中させて息をもつかせない、決して気楽な気持ちでは聞けないけど、聞き終わった瞬間に心地よい疲れの伴う、まさにリアルタイムで味わえる「名人」。
(そういえば、リバプールで風になったライガーの中の人も、御存命ならw遊雀師匠と同い年だったりするなー)
それを最初に思ったのは、もう3年も前のこの会での「文七元結」の時かな。

20171208 「神田松之丞、三遊亭遊雀師の胸を借りる」@深川江戸資料館
https://note.com/matuken/n/nd32de552ebb6

そして、今日の「芝浜」で、まさに同じ感想を持った。やはりネタ帳を見ると、去年の「遊雀式スペシャル」で聴いているはずなんだけど、その時にはトリネタではなかったし、細かいところが違っていたのだろう、今日聞いたのが初めてのような気分だった。
で、上にある「文七元結」の感想にもあるんだけど、遊雀師匠の細かい一つ一つの台詞仕草、その一つ一つがこの話に納得というか説得力を与えている。
どうしてあれだけどんちゃん騒ぎをしたのに、大家さんはともかく連れてきた友達連中までよく口裏合わせて黙っていられたか。それはいいからいいからと理由を説明せずにただ宴会をしていたから。
どうして財布を拾ったのが夢だと思っただけで性根を入れ替えたのか(だから立川談笑の「シャブ浜」だと警察にたれ込むという強行手段に出ていて、これはこれで説得力がある)。酒に溺れて情けない夢を見た上に恋女房(なので、「替わり目」みたいな恐いおかみさんという感じはここまでは出してない)が出て行く別れるとまで言い出してしまったから。しかも、寸が長くなるのを承知で元の得意先に詫びを入れにいく場面を入れる。決して最初はいい感じで相手をしてくれていたわけではない。そこを何とか取り合ってもらえた。もう二度としくじることは出来ない。
その上で、三年目の大晦日。それも「三年我慢したんだから大丈夫」程度じゃなくて、もう大丈夫だという確信を持てる台詞を聞けたからこそ、「もう、荷物降ろしてもいいかい」と。その台詞が聞けていなかったら、きっとまだそのつらい「重い荷物」を持ち続けるつもりだったんだろう。
もう、一杯やってもいいのかも知れない。でも、それで万が一また元の自堕落な自分に戻ったら、もう一度、あの詫びを入れにいくところからこの三年間をやり直さないといけないし、なにより、恋女房にまた違う「重い荷物」を背負わせてしまうことになる。その荷物を今まで背負わせていたのは、自分だ。

あまりにも有名になりすぎて手垢がつきすぎて、普通にやったら「ああいつもの台詞だね」ですんでしまう。「そろそろ年末だね。風物詩の芝浜聞けたね」ですんでしまう台詞。「また、夢になるといけねえ」
そこにリアリティを持たせるために、細かな台詞や仕草、なんなら顔の表情、視線の1つ1つを積み重ねてきて、そのために客が途中で緊張に耐えられなくならないように程のいいくすぐりも入れながら、その全てをサゲの台詞に集約していく。ああ、そうだよね、こんな三年間を過ごしてきたんだもん。このひとくちでそれが無に帰すかもしれないと思ったら、んまぁ、後にはおいおいほどよい距離を保って呑めるのかもしれないけど、急に、今、この時には飲めないよとても。それこそが、酒の誘惑に負けてしまうと言う意味での「豪傑ではない市井の人」とは違う、「この一歩を踏み出してしまうことの恐怖を知っている市井の人」のリアリティ。「また、夢になるといけねぇ」という台詞に込められた現実感(だから、サゲの台詞で待ってましたの拍手でなく、一瞬観客もためらってるよね、配信見直すと)。それを、舞台装置も何もない高座の上の一人芝居で見せつけてくる本気の三遊亭遊雀。まさに「抜き身の遊雀」。
「お客様に育てていただきたい」と枕であったけど、これ以上、どう育てりゃいいの(笑) その位の、この録画をそのままCDなりDVDで売って世の人に知って欲しい聴いて欲しいほどの名演。うん、それでも、ここから育って更によくなるというのなら。これからのどこかの会で「遊雀が芝浜を本寸法でやる」とネタ出しの告知があったら、迷わずにそのチケットを買って間違いはない。「この時期の風物詩」などではない、本来の落語としての「芝浜」が聞けるから。

後の渋谷らくごのポッドキャスト配信の枕で知ることになったんだけど(無論、枕なので盛ってる可能性大だがw)、さっきのリンクの感想文の会の前に、当時松之丞の伯山は遊雀師匠にこう言ったそうな。「師匠、本気でお願いします」と。
いつものHaco.と違う、COVID-19対策で客数制限はあってもそれなりの大きな会場なのもあるのかもしれないけど、この親子会でこれだけのものを遊雀師匠が出してきたのは、もちろん季節柄もあるかもしれないけど、やはり、遊かりさんの2席、特に「夢をあきらめないで」が良かったからと言うのもあるんじゃないかなー。寸が長くてかける機会が少なくなるというのは、別に噺そのものの欠点ではないんだし。
で、裏で小言があるかどうかは観客からはわからないけどw、本来は高座に上がったときに遊雀師匠、枕とかなしにそのまま「芝浜」本編に入るつもりじゃなかったのかな。羽織着てなかったし。それをああいうほめる枕が少しついたのは、やっぱりそれだけ遊かりさんが腕あげた証左だろうし。うーん。楽屋戻ったとき寝てたって、狸寝入りじゃないかなーw
で、頭にも書いたけど。
COVID-19のせいで、次の会がいつになるのか、元のHaco.に戻れるのか、配信中心になるのか、今日と同じ形態になるのかはさっぱりわからないけど、まぁ、出番の順序が前から変わったこともあわせて、とはいえ師弟はいつまでたっても師弟なんだろうけど、見てるこちらとしてももう「親子会」よりは「二人会」の気持ちで行った方がいいのかもね。本来は遊かりさんが真打ち昇進してからなんだろうけど、なんというか、割と進むべき方向は本人の中でも決まってきたような気がして、あとは本当の真打ち昇進まで、今までの噺への磨きと、昇進までに必要なものをどれだけ積み増せるかという話であって。

10回記念のような特別の会(この時は先約でいけなかったんだよなー(,,゚Д゚))ではないけど、同じなかの芸能小劇場で、しかもこんないいものを聴かせてもらって。ある意味、「記念の回」、だったのかも。後々振り返れば。

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20201104 おいたわし夜「ふぇみ変!」@代官山晴れたら空に豆まいて で出来なかったTweetの後追い

本来はクローズドな会場の中で盛り上がる「おいたわし夜」ですが、昨今の環境から入場者数を大幅に少なくして全世界に配信してお送りするという、チキンレースの強度の増したスタイルにw
で、あたしは会場行くつもりでいつもの通りに予約開始で即申し込んだら整理番号1番に(,,゚Д゚) というわけで行ってきたんですが。

ところが若干の問題が。
配信なので、ラジオ実況のノリに近いツッコミとかのTweetで対話式に進行するんですが、会場の晴れ豆さんの立地では、au系(あたしはIIJmioのauキャリアプラン)の電波状態が恐ろしく悪い。昔はdocomo系のMVNOSIMの2台持ちだったんだけど、経費削減で今は1契約なのでauでダメならダメ。晴れ豆さんからも「店内のWifiを使うと配信が途切れる可能性があるので、使えません」(それ以前にパスフレーズ公開してないから繋がらないとか、そもそも配信は有線で接続しようよとかいろいろあるけどそれはさておき)とのことで。
一応、万一の可能性にかけて、入り口近くの席だとどうかなと思ったけど、完全に不通状態。まー、店外でも喫煙席辺りに座ったら通信できないから、前よりも状態悪くなっている気がする(,,゚Д゚)
一応、Google翻訳アプリを使って、オフラインでもテキストの音声読み上げできる仕組みだけは作っては行ってたんだけど、音量が小さいのと、照明効果とかみるとあまり明るい画面取り出しているのもちょっとアレなので。
幸い「直接発声でもいいですよ」という事前許諾はあったので、大声にならない程度(困ったことに腹から声ださなくてもそれなりに通る声だったりするんだわあたしw)にマスク厳守で飛沫が飛ばないように、結局ふだん通りに肉声ツッコミを入れてました。困った客www

ここから書くのは、1日たった今日、アーカイブの録画を見ながら、その時会場にいたらこうTweetしただろうなーなことをテキストエディタに書いたものを貼りつけました。とはいえ、本当のTweetじゃなく文字制限とかないので、その辺の編集はなし。最初は直にTwitterに書き込もうかと思ったけど分量が多くなりそう(実際、これだけの長文になったw)なので、こう言うスタイルにしました。
で、さっき書いた肉声のツッコミはマイクにはあまり拾われていなくて(そのためのマイクがないから当たり前。拾われるくらいの大声だとそれは別の問題になる)、動画で見ていると、いきなり話が変わって訳わからないところがあったので、自分のツッコミに関しては何を言ったかを補足しました。
アーカイブ公開終了後、編集してアップロードすると(本気で言ったのかどうかはわからないw)言ってたので、その時にも参考に出来るように、経過時間でなく、何の話題の時かというので見出しをつけました。
なお、実況Tweetのつもりで書いているので、誤字脱字に関しては確認しますが、ソースの補足とか内容の誤りの修正はしませんのでご容赦を。
それでは。




・朝生のテーマ
この曲かかると、やっぱり「朝までおいたわし夜」だなーwww

・150億
この時点で去年の「天気の子」越えてるんだよねー(,,゚Д゚)

・王将のご飯
ちなみに代官山駅前にあるのは「大阪王将」。「餃子の王将」(通称京都王将)とは違うので要注意(,,゚Д゚)

・LGBTQ
トランスヴェスタイル(異性装)が入るのは意外と知られてないんだよなー。AG(自己女性化愛好症候群)はあるのかなーカタンさん(,,゚Д゚)

・アツギ
まだストッキングでいい気温だったけど、ネタでアツギのタイツはいて行ってました。多分120デニールw

・もともと対照的なわけがない
「対等と性差があることは両立するんだけどな」という他の方のTweetを思い出すなど

・トリセツ
既にマキタスポーツが「オジサンのトリセツ」というネタをやってたりするw そこに「関白宣言」もリミックスしていたしw

・永久保証
そういえば、バルクじゃないパッケージのPCのメモリとかは「永久保証」だったりするんだよなー。容量の進化で使い物にならなくなってるからいまさら保証されてもねーw

・男と女の需要と供給と甘え
あたしの中ではこれが「アシンメトリー」へと繋がるんだけどねwww

・哲学系彼女
久々に聴くのも嬉しいけど、個人的には、佐藤和尚のキーボードが密かに暴れまくっていたのを、会場で爆笑してましたww
実は「哲学系」にはずっと違和感無いわけでは無かったけど、アフタートークを聴いていると、そういえばサルトルの契約結婚とかあったなーとか考えると、やっぱり哲学系なのかと改めて納得wwww
うまく歌うな、って、中田ヤスタカがperfumeに要求していたことだよなーw

・(ジェンダーに関して)情報が増えた
昔はホモセクシャルもMtFも異性装も全部ごった煮で「オカマ」でまとめられてしまっていた(ジェンダー自認と性的指向が別レイヤーとして捉えられてなかった)ところからは、だいぶ分析は出来てきてますねー。結果、順列組合せで多岐に渡るので、それを展開した結果だけ見ると「性別が18種類!?」とかになるんだけどw

・男女雇用均等法
もはや「総合職」「一般職」も死語ですかねー(,,゚Д゚)
ちなみに、あたしが会社に入った初日(遅れて入社したのでいきなり現場行きだった)、年上の女性(明確に一般職というのがない会社だったけど)にお茶出されてものすごく気まずい気持ちになった記憶があります(,,゚Д゚)

・関白とYシャツと私宣言
そういえば、これ、どっちにも「浮気」が出てくるけど、女性が浮気をしない(常に男が外に独身の浮気相手がいる前提)という辺りにも多少時代感があるかなー(,,゚Д゚)
あと、結婚って所詮は夫婦間の関係性なので、共依存でぐちゃぐちゃになってるとかこう言う関係をみんなに押し付けるとかでないのならこういう夫婦関係でもいいんじゃねーと、と一回りして思えるようにもなってきた昨今w
で、最後を不協和音で終わらせる所帯持ちの和尚最高wwww
シャレの所でツッコミ入れたのはあたしで「関白宣言は発表当時から時代錯誤と言われてました」という、同時代経験者の証言www

・ハリー・ポッター
そういえば、BLM絡みでJ・K・ローリングがLGBTにアンチな発言をしたとしてリベラリスト&フェミニストに叩かれていたなーw

・ザリガニ
アメリカザリガニって戦後の食料として持ち込まれたものが帰化生物になったので、うまいと言えばうまいはずw

・家庭環境
うちはとーちゃんもかーちゃんも学歴は無いけど本は読んでいてうちに本があふれていたので、学歴とその辺って、昔はちょっと乖離してた所はあるかなー、今とは逆の感じで(,,゚Д゚)

・タッチ
本題と外れるけど、この曲って、当時の歌謡曲で50sリバイバルのあった頃なので、曲調がツイストなんですよね。チェッカーズの初期の頃とダブるはず(というか確か作曲が同じ人)
ここでツッコミ入れました「最後は野球の試合して無くて、ただ机の上に「優勝」という置物が出て来ておしまい」

・うる星やつら
好みがあるだろうけど、当時って、怪力要素が入る前のしのぶのほうが、男性人気があった記憶。後に「東京ラブストーリー」でリカの方がヒロインになったのが割と革命的な展開だった感じ(,,゚Д゚)
高橋留美子は割と初期の頃から「女性描いていて楽しいじゃないですか」と言っていた女体好きで、逆にめぞん一刻で管理人さんを主人公にしたのが意外だったし、ラムちゃんより管理人さんの方が「男性にこび売ってる」印象だったなー(,,゚Д゚)

・実写版デビルマン
あれはなまじ原作準拠してるのが余計に腹立つwwww

・80年代アイドル
話題にあまり出なかったので。
80年代アイドルのトップ3、聖子、明菜、Kyon2って、そのベクトルは違うんだけど、みんな「ちょっと悪い女の子」なんですよね。なんなら明菜が一番男にこび売ってる感じなくらい。
なので、この頃から、完全に対等では無いけど、ただ単に男にこびる女性像から少しずつは変わってきてたんですよねw(聖子に関しては、松本隆が確信犯的にやっていたのは確か証言があったはず)

・エヴァ
従来のロボットアニメの主人公に一番近いトウジがエヴァにのったら事故になって廃人状態になる、というのが、また従来のロボットアニメの主人公像のあからさまの否定かな、とも思ったりして(,,゚Д゚)

・エマ・ワトソン
ハリポタをちゃんと履修していない幽霊学生なので、気付くのが遅れました。「なんでハリポタっぽい格好してるんだろう」とはずっと思ってたけど、そこでエマ・ワトソンに繋がらない時点で、精進が足りないあたし(,,゚Д゚)

・ガンダム
富野小説版だと、みとせさん更に女性キャラが理解できなさそうwww

・白い方が勝つわ
この日、会場入りの前にTwitterのTLでいっぱい見たのがこれ(米大統領選でどっちが勝つかで、トランプが赤、バイデンが青なので)www

・シャアメドレー
「革命はインテリが始めて〜」が妙に今日のテーマに合ってたのが、けっこうハッと突かれたところ(,,゚Д゚)
提供、まー防衛省がオールナイトニッポンの協賛するんだから、ジオン軍が提供してもおかしくはないかもwww
で、シャアのバブみはよく言われるけど、ララァが17歳であの台詞を言うくらいに、精神的に大人の「おんな」なのも、往年の山口百恵並み(全盛期は10代後半から20歳くらい)なんだよなー(,,゚Д゚)

・女性も父性を求める
自宅商店とかじゃないと、父親が働いているところを見たことがない、そもそも勤労時間が長くなって家にいない、給与も銀行振込になって、「父親が家庭にいない」のはみとせさんの頃から徐々に顕在化してくる感じかなー。
運動会に父親がビデオ撮りに行ったり入学式卒業式に会社休んで参加するのも、多分平成になってからだろうし(会社に入って先輩が当たり前のようにそれをして「え、そんなコトするの?」と思った)

・家族で「シャアが来る」
「オタクはオタクと結婚する。オタクの血はどんどん濃くなる」という名文句wがあるので、親子で歌う家庭は他にも知ってるけど、そうやって徐々に加わるモブフラッシュみたいな家庭はあまり知らないw(だいたいお子さんにあまりそうやって積極的に歌うようなキャラがいない)
でもそういう家庭って幸せですよやっぱり♪

・闘うヒロイン
あたしがツッコミ入れました「少年漫画の戦うヒロインは、スケバン刑事辺りから逆輸入されてきた」。スケバン刑事、マンガは前からあったけど、80年代の実写テレビドラマ化(斉藤由貴、南野陽子、浅香唯)で、少女マンガ読まない男性にも闘うヒロインが浸透し始めてきた感じですねぇ。海外からの流入を二次創作的っていうのが、実は元ネタ的によくわからなくて。チャーリーズ・エンジェルのリメイクとかなら、日本にもプレイガールとか見てた世代がいたし(,,゚Д゚)
旧来のワンダーウーマンとかはあったけど、MCU始まったのも21世紀になってから(ガル・ガドットのワンダーウーマンは更に後)だし、下手すると初代のプリキュアの方が先かも(,,゚Д゚)

・みんななんで紅蓮が好きなの?
そういえばその前に「グレンラガン」とかもありましたねーwww

・マイルドヤンキー
ツッコミ入れました「マイルドヤンキーの1家庭を取り上げたのが「翔んで埼玉」の現実パートですよね」。ここから「伊勢谷ー!」の流れにwww
あの映画の「そこそこすごしやすい埼玉、ここで人は生まれ、育ち、子を産み、そして死んでいった」な世界ってまさにマイルドヤンキーな世界で、結局そのほどほどを日本全国に広めていく同調圧力ねww 埼玉がネタとして耐えうる強度が、マイルドヤンキーの持つ強度と通じる感じがあるかなー(,,゚Д゚)

・グラスを叩いて音を出す
そういえば、中島みゆきが「作曲するときにはやっぱり茶碗とか徳利を叩いてするよねー」と言ってましたwww

・エコーチェンバー
隠居をしていると本当に埋没できるんですよねー、怖いことに(,,゚Д゚) なので、ストリームでBBCずっと流したりradikoでラジオ番組流したり、なにか割り込みが入るような感じにはして、ADHD的にのめり込むのをギリギリ回避してます。
パソコン通信の頃は、エコーチェンバーという単語が定着してなかったので、「ハウリングの原理で」でこの手の現象を説明してました{エコーチェンバーと原理は同じ}

・性の自認は男
ひばりくんが出て来てあまり扱われなかったけど、「前略ミルクハウス」の菊川涼音が、外見は全く女性なんだけど精神的には完全に男性で、当時読んで「あ。こういう男性像もありか」と目からうろこが落ちた記憶が(,,゚Д゚)

・バッカルコーン
DLE作品だけどフロッグマン(鷹の爪団の人)が絡んでない辺り、バランスの悪さが良くでてますねーw フロッグマンだとその辺りうまくまとめてしまうのでww

・トリセツ再び
ツッコミ入れました「西野カナ、曲書く前に企画書作って提出してから作ってるんですよね」

・アシンメトリー
この延長線上で同じスガシカオの「黄金の月」{アニメ「ハチクロ」挿入曲}の歌詞を読むと、より「そうは言われましても男としては」感が強く感じられるかなー。
すっかり対等になったはずなのに、やっぱりなんか男性の方からプロポーズして「君を幸せにするよ」(「一緒に幸せになろう」じゃなくて)と言わなきゃいけない感じなのがまだあって、そこに追い詰められた男が「黄金の月を描こう」といいながら、歌の最後には「黄金の月など無くても」になってしまうあたりに、この「そうは言われましても」のもたらす結末をよく描けるなーと(,,゚Д゚)
で、アシンメトリーは、ライブVer.で聞きこんでいたので、「あ、最初のハモは無いんだ」とちょっと残念だけど、しょうが無いww
そして、佐藤和尚のピアノがものすごくジャジーで、Jazzとファンクが同じブラックミュージックのルーツがあるのがよく理解できて、個人的には本日一番の名演♪

・折れる美学を分かれと言うこと
それこそ鬼滅の「長男だから」あたりと、ちょっと通じるかな。お兄ちゃんだから我慢しなさいと、逆に長男故に与えられる特権。ノーブリス・オブリージュ。そこらへんに似たものが。

・洗脳
洗脳の技法だとまず相手の価値観破壊があるから、この程度では洗脳じゃないですね。詭弁の手法はちょっと使ってるけどww

・サブスクを1.5倍速で見る
ラーメン発見伝の「奴らは情報を食ってるんだ」と似たような感じかなー(,,゚Д゚)

・女性が性的に見られるということ
ソース自分で言うと、女装で街を歩くと、さすがに痴漢は無い{通勤時間に乗ることがないし、たいていは座っているのもあるだろう}けど、おっさんに声かけられたこと1回、当たりに来られる回数はものすごく増えましたw よくある「別に当たる相手を選んでいるわけではない」という言い訳は、あたしの中では大嘘判定されています。
あと、さっきの話に通じるけど、男って暗黙の了解で女性に対して行動を起こすことを求められることが未だに残っているので、そこを勘違いして、暗黙の了解があるだろう、いやなくても後で了解を得られると勘違いする男というのは一定割合でいたりはするのがねぇ(,,゚Д゚)

・プロレス化
敢えて相手の攻めを受ける、でも、最後の越えてはいけない一線を越えない信頼感。
Twitterの炎上って、今は、その信頼感のない通りすがりで、プロレスじゃない総合格闘技と思っている感、強いすねー(,,゚Д゚) プロレスの最初の手を組んだ所(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)で相手の力量がわかる、に該当する事{ちょっと相手の過去Tweet見ればわかること)をしない人多いし(,,゚Д゚)

・恥と思って炎上する
「謝ると死んじゃう病」にもちょっと近いかなー(,,゚Д゚)

・蜜林
一度炎上済で、その時に当時の服装と肉体設定から考察して「あれは時代考証と合理性がある」としたBlog記事もありましたねー(,,゚Д゚)

・幸福論
確かにホフディランwww みとせさんが回避した「嘘くさくなる」って、もしかしたら、メロディが良質のポップスで、これでみとせボイスで歌うと、本当に良質のアイドルポップスみたいになって、確信犯で偽悪的にやってるんじゃなくて、マジのアイドルポップスというのが「嘘くさくなる」なのかなーっと。

・女性が女性としていられる
そういえば「G.I.ジェーン」という映画もありましたね。男女平等は別に女性の男性化じゃないという、今では割と当然になってることがそうじゃない、という時代のほぼ最後の辺りの時期の作品。

・僕の答え
絶対「幻想異国酒場」ではやらないだろうけど、この曲の、特にAメロのコード進行、勇者クノヒコの割と好物のような気がする。というか、実は渋谷系と勇者クノヒコ、けっこう相性いい気がするんだよね。月猫カバーライブでバカラックのClose To You選曲とかあったし(,,゚Д゚)

・アンコール
やっぱり「Let It Go」、普通に歌える音域でメロディ作ったのと訳詞の出来が良かったのが名曲だなー。アナ雪2の「Into The Unknown」{特にエンドロールのPanic At The DiscoのVoのやつ}大好きだけど「みんなで一緒に歌いましょう」にならないもんねww
そして、オーラスはいつものアレwwww 銃が昨今はやりのゲーミングモデルだったのがクロワロタwwwww
で、配信は歌終わったとっとと終わりでMCがフェードアウトでフィラーが出たと思ったらまだ続いたwwwwwww
来年、朝5時までということは、「朝までおいたわし夜」するしかないかwwwwwww

てな感じで。また来年ノシ
(佐藤和尚的には「また来世」の方がウケるかなww)

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AppleEvent、というかまぁiPhone12発表会終わったよ(,,゚Д゚)

AppleEventしゅーりょー。

新製品は
・iPhone12(799USD-)
・iPhone12 mini(699USD-)
以上が11/13発売
・iPhone12 Pro(999USD-)
・iPhone12 Max(1099USD-)
以上が10/23発売
・Homepad mini(99USD)
11/6発売

詳細なスペックはどうせ昼までには各媒体に載るだろうからそちら参照。
iPhone12は全機種5G対応、SoCはA14Bionic。miniといいつつも5.4インチもある(ただ、頑張ってフットプリントは従来のその画面サイズのものよりは小さいらしい)。
Proはカメラ動画撮影機能に思いっきりふっていて、AppleProRAWとかいう、事実上のRAW対応もしたような感じ(本当のRAWじゃなく、A14Bionicでいろいろ加工と化した結果と並行して、その指示データでRAWデータを作るような感じらしい。知らんけどw)。
あとは、Qi充電器に磁石をつけてぺたんと貼りつけるMagSafeというデバイス。いままでそういうのをサードパーティで見たことないから、ちょっと製造技術が必要なのかも。で、AMDのZen4に先駆けて、A14Bionicは5nmプロセスだそう(まぁ、製造するのは同じ台湾のメーカーなんですけどねw)

で、あたしは映像系の知識とかが一切ないから何とも言えないんだけど、ここまでカメラ寄りに振ったiPhone12Proって、その道のプロがGoProとかデジタル一眼から乗り換えたりするもんなのかなー、というのが素朴な疑問。てか、本当にそこまですごいものを、「スマホ」というパッケージで出す意味って、例えば、今の動画ライブ配信のトラブル時のサブ機材としてならまだわかるけど、メインの機種にする? というのがすごく疑問で、そこまでやるなら、もっと口径のある、マイクロフォーサーズとかのカメラ専用機とか出せばいいじゃん、で済む気がして仕方がない。
で、高級スマホを買いたい向きにはiPhone12かminiだろうし、同じA14Bionic使っているので、あるところまでは同じ事をやってくれるんだけどねぇ(,,゚Д゚)

なもんで、もしかして、一番世間的にウケがいいのは、継続販売機種の値下げかも。SEが399USDだそうだし(,,゚Д゚)(いま日本のAppleストア見たら44800JPYだそう。値下げしてこれか、ここから下がるのかが不明だけど、もうiPhone12が反映されているので、たぶんこの値段)

てかもうそろそろ観念して、USB-CとmicroSD対応してくんないかなー、SE系列だけでも(,,゚Д゚)

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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン もしくは 沈黙に語らしむと言うこと(たぶんネタバレになってると思います(,,゚Д゚))

本当は、MXで再放送したテレビ版の録画があるので、それを見てからの方がいいはずなんだけど、油断をしていたら、今週末封切りの「鬼滅の刃 無限列車編」がものすごくて、土日はあちこちのシネコンの全スクリーンでこれしか上映しない、というとんでもないことが判明して(実際、近所のシネコンもそうだった)、とりあえず大慌てで見に行ったので、テレビ版とかで前提になっていることがあるかもしれないけど、まぁ、見てる分にはたぶん最低限の設定が分かるようには作られていたと思うので、どっちかというとエンドロール前のあのシーンはなんなのかなとか、そういうのが逆に気になってしまった。うん、いい作品だと思うし、Netflixが京アニでこれだけ独占契約したという話をTwitterで見かけたので、これをもう一度ハリウッドで実写映画化とかがあるかもしれないかなーとは思った。郵便社の面子がいろんな人種が混じったりするのかもとかはいささか思うところはあるけど(,,゚Д゚)

なもんで、以下はあくまで「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のみの感想です。TV版で自明のこともあるかもしれないけど、TV版見てから書くよりは今の感想で。
以下。たぶん直接には言及しないけど、たぶん「ネタバレ」に類することにはなると思うので、そのつもりで。さっきも書いた「鬼滅の刃」旋風で、一番館的には上映終了になりそうな感じでもあるし。

この脚本が上手いなーと思ったのは、んまぁ、男女で上官と部下で、というのが一番しっくりとはくるんだけど、ここで出てくる「あいしてる」は、オーソドックスな男女の恋愛でなくても成立するようになっていたことかな。孤児を引き取って「道具」として育ててきた上官と、それを是として受け取ってきた部下。でもそこに信頼と愛情が生まれて、決戦の時の負傷で引き裂かれるときに残された「あいしてる」という「呪いの言葉」。
うん、愛することと愛されること。それって、一種の「呪い」なんだよね。この物語の中では直接相手への愛情が憎悪に変わることはなかったけど、でもその代わりに、その愛情が変わった憎悪の矛先は、自分自身に向かうことになる。特にギルベルトはそれが顕著で、島のシーンがまさに憎悪が自罰的に頂点に達した瞬間でもある。自分が「道具」として育てたが故に、もっといきいきとしていてもよかったはずの少女が、「愛する」という感情もよく理解できていない「道具」で、でもその「道具」が、いや、「道具」だった少女が「あいしてる」の意味を求めて自分を慕ってくる。ギルベルトはそれが耐えられないし許せないし、しかもそういう状況を作ったのは間違いなく自分だ。ヴァイオレットがここまで自分を想い追ってきてくれたことが、その自分の過ちを責めさいなんでくる。もしかしたらあの時「あいしてる」と言わなかったら。
で、それはヴァイオレットも同じで、ジルベルトが「あいしてる」という言葉を与えてくれたこと。そして、今度は自分が他人に言葉を与える役割になりたいと自動手記人形になる。そしてそれは、ジルベルトにもらったのと同じように、言葉が必要な人たちに伝えるため。スピーチライター的な代筆はしても、それは依頼主の伝えたい気持ちを拾い綴るだけの役割。だから、あれほど賞賛された筆力を持ってしても、ジルベルトへの最後の手紙は、ただただ「ありがとうございました」を連ねるだけのものになってしまったし、二人が海岸で再会する(島の部屋では結局直接対面してないしね)場面では、まともな言葉すら紡ぎ出せなくなってしまっている。言葉を綴ってきたヴァイオレットが、いざその場面になったときには言葉にならない、結局は二人抱き合うだけの「沈黙」に全てを語らせることになる。
与えられた「あいしてる」という言葉をたどるうちに、ようやくたどり着いたその意味は「沈黙」であったという、逆説的であるけど普遍である、そして、そこには実は明示的な性愛がない(少なくとも描かれていない)ので、ジェンダーや性的指向から切り離された物語になっている。
この「沈黙」に語らしむ、というのは、映画の演出の中でもたびたび見られる「顔の見えないアングル」の多用にも見られるかなー。その場面のキャラクターの顔を描かずに、わざと顔の部分をフレームの外に出したカットで物語を薦めて、肝心な場面でだけ出す、という感じ。なんというか、「何を語ったのか」でなく「何を語らなかったか」で描いているように思えた、脚本も演出も。

おそらく、ヴァイオレットの中にはただ、自分を受け入れ育ててくれて長い間離ればなれになっていたジルベルトへの、言葉にできない気持ちだけしかなかった。本当にそれは愛情だけなのか。いろんな感情が交じっていたものを、決戦の際のジルベルトの「あいしてる」の一言で、結晶化したのではなかったのか。ヴァイオレットがずっとつけているブローチのように。
二人とも「あいしてる」のは間違いないと思うし、おそらく生涯連れ添ってあの島で仲良く暮らしたんだとは思うんだけど、ジルベルトの「あいしてる」も、ヴァイオレットの「あいしてる」も、なんか純粋な愛情とは少し違っている(別に打算という意味合いではない)気がするんだよね。まぁ、世の中、純粋な愛情だけで結ばれなきゃいけないなんてもんじゃないし、そういう方が却って「情」として人として本当に愛することができるとも思うけど。
ただ。ちょっと思うんだよね。決戦の時に、ジルベルトがただ乱暴に「俺にかまうな。とっとと逃げろ」で押し通していたら、その後のヴァイオレットはどうなっていたのかな、と。おそらく自動手記人形にはなってなかったろうし、ジルベルトの母の墓参もしていたのかなー、とか。ジルベルトも、ヴァイオレットへの罪の意識(と、そこに繋がることになったブーゲンビリア家への抵抗感)がなかったら、ヴァイオレットと同じ技術レベルの義手もつけずにここまで隠遁生活はしてなかったろうしねぇ。
あの「あいしてる」って、やっぱり、運命的な一言であったと同時に、ものすごい「呪い」の一言でもあったわけで、ねぇ(,,゚Д゚)

うん。確かにハッピーエンドではあるんだよね。エンドロール後の静止画の1カットに集約されるように。そして、そのハッピーエンドは、うーん、サイドストーリーでヴァイオレットの生涯を追いかけてきた少女のおかげで生涯ずっと続いたことがわかるんだけどね。でも、島の教師と郵便業務という平凡な夫婦の生涯を送れたのは、ジルベルトのにーちゃんが「ブーゲンビリア家は自分が継ぐから、自由に生きろ」と言ってくれたからだし(ところで、あのにーちゃん、どこから島に現れて状況把握したんだ?w)、そう言ったのはおそらく、軍人の家に生まれた自分が軍の道に進むのを嫌がったせいでジルベルトが軍の道を選び、その結果が今の隠遁している弟と、両腕を失ったヴァイオレットだという罪の意識もあるだろうし。で、島でそのまま生活できたのも、あの島の爺さんのように敵方であっても同じように傷ついていたんだと理解をしてくれたからだろうし。
なんか、そうやって見ていくと、少なくともこの劇場版では、様々な人たちの「謝罪と贖罪と許し」の物語でもあるのかなぁ。あの少年がヴァイオレットに依頼した手紙も、弟と友達に関してはまさに「謝罪」であったし、「他人は、本当の気持ちと言うことが違っていることはよくある」からこそ、ただの手紙でなく自動書記人形が代筆をする意味があるんだろうしねぇ。

後は落ち穂拾い。途中の挿入歌、エンドロール見ると茅原実里みたいだけど、いや、元々似てる声ではあるんだけど、映画見ている間中、初音ミクに歌わせていて、合成した歌声でこれだけエモーショナルな場面の挿入歌として起用する演出すごいなー、と一人勘違いしていたりしたのでありました(,,゚Д゚) あんなに合成っぽい歌い方じゃなかったんだけどなー昔は(,,゚Д゚)
しかし、この映画のデータがあの時消失していたら、もっと完成は遅れていただろうし、そうしたら「戦争」が違う意味の隠喩と誤解されてそうな気もするから、そういう意味でも遅れながらもなんとかこの時期に公開ができて、本当によかったとおもいます、うん。

うん、多少ベタなところはあるかもしれないし、総じてあまあまな仕上がりな気はするけど、この作品はこれでよかったんじゃないかなー(,,゚Д゚)

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20200929 あつまれ改作の森at無可有@配信

演目(いずれも演者による改作済)
「狸(狸銃)」春風亭昇りん
「権助魚」柳亭信楽
「たらちね」三遊亭遊かり

今日は「新作冒険倶楽部」みたいに先達がいなかったし、たぶん、あたし如きの素人でも何かのフィードバックがあった方がいいのかなと思って今から書くんだけど、かといって「この感想文読んで下さい」と押し付けるほどのものでもないので、Blogにのみ。書いたという通知のTweetもこれに関しては、直接のリンク貼ったものは流さないので、演者やファンの方はエゴサをしてここにたどり着いた、心臓の強い人のみご覧下さい、というところでww 別に罵詈雑言は書いてないですけどねw

あと。改作についてはあたしのバイアスのかかり方は、やっぱり立川談笑が別格(「シャブ浜」サイコーwww)で、最近だと立川かしめの、あの「お前、どうかしているだろう」by春風亭昇也、な風味の改作(今まで聞いた中で一番恐い「猫と金魚」とかww)が好みで、たぶん世間一般の落語ファンから外れているはずなので、それを前提、ということで(,,゚Д゚)
それと、どうしても噺の作りとか構造とかそっちメインで、演じ方とか仕草とかにはほぼ触れない内容になるので、それはご了承を。それとネタバレありで。


ということで。

まずは「狸」
うん。やっぱり話が込み入っていたかなぁ。
まず時代設定で、オリジナルの「狸」に合わせようと思ったんだろうけど、江戸っぽい雰囲気を残そうとして時代は古い感じにして「六発式の回転銃」とか言ってたりしたけど、その割に親分のところでのやりとりが全部銃だったり。子どもが親より狸のことを思ってすり替えたりとかしているのを見ると、いっそ現代に持っていった方がいい気もするかなー(,,゚Д゚)
狸の化けた銃と本物の銃の入れ違いを作るところとかも、映画で言うところのフラッシュバックとかがあったりして、真剣に聞いている人はわかるんだけど、ちょっと油断をすると「え、なにがどうなった?」となってしまいそうになる。話術でフラッシュバックって実は結構難しいし、あれは単純に時系列にやって観客がわかっていても、ディテールを「観客がそれをわかっている」前提(ミステリーだと「刑事コロンボ」みたいな倒叙スタイル)で詰めれば、同じくらいに笑えるはず。
その辺がうまくできれば、ただの「改作にトライしました」レベルでなく、後々の人が「狸」の別のバリエーションとして演じて通用するくらいの噺になると思う。

「権助魚」
世間一般の人が「改作落語」と聞いたときに想像するイメージに一番近いのがこの噺だったかなぁ。
個人的に一番面白かったのは、やっぱり途中の「たんす祭り」の下り。もうちょい作り込んで「寝床」の前半みたいな感じで理由をつけていったりとか、「だったら権助を残せばいいだろう。あいつ怪力なんだし」みたいに
最後の下りの伏線を入れておくとかするともっと面白かったかも。
で、信楽さんが「ここが一番ウケると思った」な耳なし芳一は、うーん、やっぱり「耳を本当にちぎる」のグロのインパクトがそれなりにあるし、人によっては受け入れられないかもしれない(あたしはこの辺麻痺してるから笑ったけど)から、じゃないかなぁ。最初におかみさんと権助の会話で「五円もらえば耳引きちぎるだよ」「やめとくれよ、耳なし芳一じゃないんだし」とかふっておいて、最後のところでもう一度(ちと誰に言わせるか迷うけど、この例だと多分おかみさんが言うのが自然かなー)「あらー、耳ちぎられて、まるで耳なし芳一だねぇ、おほほほ」とやったら更に面白かったんじゃないかなー。というか、こういう展開になるなら、おかみさんが嫉妬で妾を探し出す(この時点では憎む相手はそのまだ顔も見たことがない妾)ところから、権助の魚の説明の後に「権助にこんな嘘つかせてまで妾のところに……憎い」みたいな感じ(この時点で憎む相手が旦那に変わる)になって、旦那の耳ちぎらせる女の怖さみたいなのがあった方がいいのかも。うん、古典の方でしっかりやってる人だからよけいに、元々の「権助魚」と、オチのために入れた要素の間の違和感があったから、その辺を上手く調整する必要はあるかも。

最後、「たらちね」。
うん、噺が大きく、トリネタに使えるくらいになるのは、もういつものことだからw、これはこれとして、ここからわりと大胆にばっさり削って、元々の発想の「元々のたらちねの男女入れ替え+いきなり嫁がされて千代さんも困ってただろう視点」くらいの、15分くらいの出番でもできるライトバージョンが別にあればいいんじゃないかなぁ。こっちはこっちでもっと作り込んでトリでできるくらいにして、いざという時の「抜き身の刀」にできるようにしておけば。
で、元ネタをメタ的(演者が素に戻っている感じ。遊雀師匠の得意技)に演じているのかと思ったら実はそうじゃなくて、お熊さんが実は、という展開は面白かった。よくあるのと逆のミスディレクションで。ただこれが噺が大きくなる原因でもあるので、ライトバージョン作るにはこれをどう扱うかは結構難問かも(,,゚Д゚)
まぁ、いずれにしても、名乗りに関しては噛むとこの噺は成り立たないし、この手の決まり文句の何言ってるかわかんない、でも聞いていると心地いい口調の単語の羅列って、理屈じゃなく血肉としてまるごと身体に入れてしまうしかない(あたしはこれが大の苦手で、高校の落研の時に「覚えるだけなのでこれが最初は簡単だから」といわれた、たらちねの上方版の「延陽伯」が覚えられなくて別の噺にした)ので、今日は制作期間考えるとつっかえなかっただけでもよしなのかなー。一見相手の高座だとそうはいかないんだけどさーw

で、噺三つならべると、うん、信楽さんが言ってた様に、他の2人のはもうかなり「新作」よりだったかなぁ。
これはもう個人の意見以外の何物でもないんだけど、改作って、どんな形でも元の噺の「骨格」なり「しっぽ」なりが残っているものなのかなーと思うんだよね。舞台を現代に持ってきたり、途中の展開や結末を変えたり、「改」のやり方はいろいろだと思うけど。まぁ、別に「新作」と「改作」にむりやり線引きする必要はないし、「藪入り」は「お釜さま」の改作なのか、ベースにした新作なのかなんて議論したって不毛だしね(,,゚Д゚)
ただ、これは別に他の2人を批難するわけじゃなくて、でも、信楽さんが「自分は「改」が足りなかった」と言ってたけど、あたしはどっちかというと他の2人がもう「新作」に片足突っ込んだところまでいっていたように思えるんだよね、噺の出来云々とは別に。で、おそらく寄席とかだと、うん、まぁ耳引きちぎってに一見客が引く可能性はあるけどw、でも今日の「権助魚」が一番なじむような気はする。
改作が難しいところは、たぶんその辺りなんだよね。古典でもその時々に合わせて噺を「改」めてアップデートしないとその噺は時代に埋もれてしまうんだけど、残さないといけないところ(それは演者それぞれで考えが違うと思うんだけど)をなくしてしまったら、「だったらそれはもう新作でやればいいんじゃね?」になってしまうし。ほら、「そりゃ大人の事情で企画を通すのに冠に『ガンダム』つけなきゃいけないんだろうけど、そういう内容ならもう新作としてやってくれた方が、元のガノタ(ガンダムオタク)もこの作品のファンも幸せなのになー」というのと同じでww

いずれにしても、その難しい「改作」にトライしたお三方、お疲れ様でした。
以上、所詮素人が適当に思っただけなので、もし読んでいたら妄言多謝、ということで(,,゚Д゚)

あ、あと、カメラのトラブルはそんなに気にならなかった。たぶん、音がずっと切れてなかったからだと思う(これ、Appleの動画規格とかの一番最初の実装だったQuickTimeの思想と同じなんだよね、限られたPCリソースだと音声の再生を優先すれば、動画側で多少コマ落ちとかしても見る側にさほどストレスはない、という。逆だと、特に音楽とかだとものすごいストレスになる)。
まぁ、機材トラブルなんてつきものだし、だから「配信の先生」とかが本気でやるときには予備機材があったろうけど、今後もどの程度あるのか続くのかわからない配信のための機材にどこまで金かけられるのか(逆に言うと、今後も配信を続ける人は、多分持続化給付金をそういう方に投資してるだろうし、文化庁の給付金が延長とかになるのなら、そういうののためにもらってもいいんじゃないかなー)とのバランスの問題だしねぇ。
たぶんiPhoneX以降の高画質録画機種のスマホとかでサブの録画をしておいて、いざとなったらその動画と音声を編集して公開用のアーカイブ動画作るという手はあるけど。ま、「金返せ」な状態ではなかったすよww

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20200920 三遊亭遊かり独演会Vol.4 もしくは「小桜のこと」、更にもしくは「Killer Tune Kills Me」

まずは。
この会の前にご本人が今回ネタ出ししていた「小桜」についてをBlogに書いていて、それを読んで、アオリという名目でくだくだとTwitterに連ツイで割と長めの文章をあげた。それをまずは以下にコピペする。連ツイでなくまとまった文章にするなら多分違う言い回しにしたり、勢いで書いたので直したいところもあるけど、あえてそのままに。
そして、今日聞いてきた感想の半分は、ほぼここに書き尽くしていたりもするので。
ちなみに、この後何回か出てくる「キラーチューン」は、ほぼKIRNJIの「Killer Tune Kills Me」を意識して使ってます。歌詞はこちら。 https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kirinji/killer-tune-kills-me-feat-yonyon/ 弓木ちゃんのVo.曲だから、あたしの音域や下げた男声だといまいちなんだよなー(,,゚Д゚)


『「小桜」のこと~独演会迄後6日!!』
https://ameblo.jp/yuukarisanyutei824565/entry-12624975258.html

ちと長めの文章で、連ツイで「アオリ」みたいなものを。

例えば、この間地上波でやった「マッドマックス 怒りのデスロード」(以下、MMFR)。
あれを簡単に説明をすれば「カーアクション映画」だし、思いっきり簡単にあらすじを書くと、「一本道を行って帰ってくる話」くらいになってしまう。で、MMFRのすごいのは、それだけの要素だけでも傑作映画だと言うこと。
でも、見ている人、特に地上波用にカットされていない劇場版を見た人だと、そんなシンプルな映画ではないことを知っているはず。フュリオサがこの地位まで登り詰めて、さらに裏切ってワイブズを逃がすところ、そのワイブズの夫たる王国の主イモータン・ジョーの存在、そこで育てられたウォーボーイズのニュークスの変わる心、他にもいろいろある登場人物を結びつけるマックスという存在。
単なる善悪でもなく(それはそれで面白いんだけどね)、それぞれのキャラクターや設定がものすごく細かく作り込まれていて、さらに一見荒唐無稽な様々なものに説得力を与えていて、掘っても掘っても、いや、掘れば掘るほど荒唐無稽さがリアリティで満たされていたことがわかってくる。で、それはこの映画に、一言では言えない様々な側面を与えて、単純なジャンル分けを許さない。かつて、インド映画ブームがあったときに「マサラムービー」の名が与えられた。スパイスの名前の比喩でもあるけど、インド映画が単純な側面だけで作られてなくて、マサラスパイスのように複雑な味わいになっていることの比喩でもあった。

って、映画の話がしたいんじゃなくてw
このネタ出しがされている「小桜」、先入観与えないようにしなきゃいけないだろうからできるだけ情報をないように書くんだけど、やはり単純にジャンル分けできる噺じゃない。花魁の幽霊が出てくるんだけど、廓噺バレ噺かというとちょっと違う。かといって色恋の話が出ないかというとそんなこともない。でも「偽りの色恋を売る花魁」の話ではない。現代の噺らしく、男と女(幽霊だけどw)の噺だけど、目線の高さに違いはない。もちろん、滑稽な笑いもあるし、泣かせるところもある。落語だから「マサラ」というのはおかしいんだけど、でも様々な要素で作られた噺。
この噺を最初(でただ一度)聴いた後。打ち上げの時に、まー失礼千万だったけどこう言ったんだよね、あたし確か(酔ってたからうろ覚えだけど)。
「この噺、真打ち披露でやりなよ。それだけのいい噺だから」
噺としては「文七元結」とか「紺屋高尾」に近い(あ、先入観与えそうだな、あくまで「近い」ね)んだけど、この辺りの噺は、いろんな人が長講一席でやっている。もちろんその上で工夫して自分のものにしてやるのもいいんだろうけど、常に誰かと比較をされてしまう。
でも「小桜」は、今のところ当代夢丸しかやってないようだし、更に手を入れられる、というか、手を入れるところから始めた噺、しかも現代を舞台にした新作のようなどこか油断をすれば時代が変わってズレてしまう(とり・みき言うところの「時事ネタは腐るぞ」に通じるもの)と違って、古典もののような雰囲気と噺の構造の面白さを持っている。カバーでもこんなキラーチューン、めったに手に入らない。他の誰のものでもない唯一無二の噺。
で。例え手を入れるにしても骨格は変わらないわけで。

SFでよく言われるのは「2番目にタイムマシンものを書いた作家が時間もののジャンルを作った」というやつで、誰かがカバーをしないと、その曲はスタンダードにならない。先代夢丸から当代夢丸と一門だけでは、それはスタンダードナンバーじゃない。そう、誰かが「タイムマシン」に似たような物語を紡ぎ出さなければ、「夏への扉」も「たんぽぽ娘」も「まどマギ」も生まれなかった。
後継者がそのまま継ぐのではなく、違う因子を持つものが新たな要素を吹き込み「多様性」を与える。それでこそそれは「スタンダード」になる。例えば、カーペンターズの「Close To You」。あれだけカーペンターズの代表曲だと思われている曲が、実はオリジナルでないカバー曲だというのは、意外と知られていない。歌詞の性別も逆転。そういう曲は結構あって、オリジナルを生み出すのも尊いんだけど、カバーをして歌い継ぐのもやはり尊いのよ♪

という訳で、「小桜」。
内容にほとんど触れないからなに言ってんだおめ-な内容しかないけど、そういう意味ではものすごくレアな噺でもあります。ほとんど誰もやらないんだからw その上、今回は上方と違ってあまり江戸落語では入らない鳴り物も入るし。そういう意味では、ちょっと歌舞伎にも近いのか落語で、歌舞伎で、笑わせて、泣かせて、喜ばせて。江戸を思わせる噺でもあり、現代の価値観を反映させた噺でもあり。様々な要素を混ぜ合わせた「フェイク」(あえてフィクションと言わない)な物語を高座の上でひとり芝居で作り上げる。
なーんだ、ただの、今の三遊亭遊かりの「集大成」じゃないかw

って感じで、今度の日曜の昼、両国。
そんな噺を聞けるのがこれ。

『「小桜」のこと~独演会迄後6日!!』
https://ameblo.jp/yuukarisanyutei824565/entry-12624975258.html

予約がメールか留守電しかないのはあたしみたいなコミュ障に思い当たる人にはハードル高いかもしれないけど、ま、とって食われたりしないし、勝手に預金も抜かれないw
フライヤーに書いてないけど録画配信もあって、そちらもメール申込。次の火曜から1週間限定で2000円。

ま、ゲストの柳亭小痴楽だけでもチケットや配信料金の元は取れるから、後はくすりとだけでも笑ったら、得しかないww

てな感じ。
どうだ、プロの物書きには書けないぞこんな内容のないアオリ文章ww


で、ここからはこの噺のネタバレありで。いや、ネタバレでもこの噺の面白さは変わらないんだけど一応。

なぜあたしがアオリの中で「フィクション」と書かずにあえて「フェイク」と書いたか。まずこの「小桜」という噺が古典落語のふりをした「新作」なのもある。だから、小桜のキャラクターって、わりと現代女性なんですよね。アオリの中にも書いたように、小桜の目線の高さは若旦那と同じだし、途中の「身投げ助け屋」とでも言うような感じの時には、パートナーというか「バディもの」のような展開になっている。うん、男女の差、人間と幽霊の差はあっても、どちらかが主導権を持ってるわけではなく、相棒というような関係になっている。

さらに、この物語の終盤。小桜と若旦那は、それぞれ1つずつ、「嘘」をつくんだよね。
若旦那に「女房になってくれ」と言われた小桜。若旦那に執着して成仏できずに幽霊として戻ってきた小桜だから、それことこの上ない言葉だったはずだけど、同時にこの言葉は、自分の未練をなくして、満願成就というと変だけど、この世に「幽霊」として執着させていたものをなくしてしまう言葉でもある。つまり、小桜は悟ってしまっていたはず。「もう自分はこの世にはいられない、成仏しないといけないんだ」と。
ただ、それを若旦那に言うわけにはいかない。それを知ったら、おそらく若旦那は生涯、そのことを悔やんで生きることになるだろうし、もしかしたら自分の後を追ってくるかもしれない。今の若旦那(この時には15両を渡してしまって勘当が決まった状態だった)には、それをさせない、この世に引き留めるも野はもう何もないから。だから、小桜はあの時、身を隠さなければならなかったし、吉原で見つかったときにも「四十九日だから」と言わなければならなかった。ただ「四十九日」で幽霊が成仏するなら、世の中の幽霊噺のほとんどは成り立たないでしょ。「末代まで祟る」のがデファクトスタンダードなんだしww
そして、ただ成仏するのではなく、花魁道中であの世にいかなければならなかった。冴えない遊女だった小桜が、立派な花魁道中を仕立てられるようになったんだ、と、若旦那に見せてあげるために。元手は、若旦那からもらった、金などでは替えられないたった一言。これが小桜のついた「嘘」。
そして、若旦那も、その「花魁道中」をみたときには全てわかっていたと思うんだよね。小桜は決して自ら望んで天に昇るわけじゃない。そうなったのは自分が「女房になってくれ」という言葉であり、さらに勘当が解けてお店に戻ることができるようになったから尚更、幽霊ではない女房、おかみさんをもらわないといけないことになったはず。自分に執着してこの世に残っていた小桜が成仏するのは、小桜は納得ずくなのかもしれないけど決して自ら望んでではないだろうということ。それでも、小桜が成仏することを、喜んであげないといけない。それこそが小桜が望んだことなのだから。だから、あのサゲの一言になるし、これが若旦那のついた「嘘」。
2人が嘘をつく。本当は情で惚れ合ってずっと一緒にいたいだろうに、もはやそれを許されない2人。そういう意味ではこの噺って「悲恋もの」でもあるんだよね。だから、2人とも相手を思いやって「フェイク」な気持ちを創り出して、相手を思いやる。本当は、ただ互いに好きなだけ、ずっと一緒にいたいだけなのに。だから、この物語は「フェイク」な物語なんですよ。その奥に真実(とかいて「まごころ」とルビを振る)のある。

と、説明ずく、解説ずくで書くと辻褄もあってるし改めていい話だなと思うんだけど、これを実際に演じる(演劇に置き換えたり、小説に置き換えてもいいけど)のって、ものすごく難しいなーと言うのは、今日の「小桜」についてのもう一つの感想。今書いてきたようなことは、全部説明してしまったら、「フィクション」としては興ざめになってしまう。観客や読者を信じて、でもぎりぎり理解してもらえるようにな材料や演技は出さないといけない。そのさじ加減がものすごく難しいと思う。実演はほとんどしたことないあたしにはなんとなくでしかわからないけど。

でも、高座の上で「真打ち披露の高座にかける」と「予告」(予言(あるいは預言)じゃないよwww 予言は世の中や他人のことについてだし、預言は神からの言葉をあずかってるだけのイエスやマホメットとかのことだからwww あれは自分の有言実行のための「予告」)したことだし、少なくともあたしはその披露興行に行かないといけないのか。まー、普通だとあと7年くらいだし、何十年もかかったら、あたし多分そんなに持たないから、それなりに早めにねw
しかし、まったく、とんでもない「キラーチューン」を掘り起こしたもんだよ、この人はwww

あとは。
「千早振る」は、あの一言で崩れてしまってもおかしくないのによく最後まで持ちこたえたなー。ついうっかりヤジ入れたりはあたしもやってしまうんだけど、ほんと、気をつけないとなぁ(,,゚Д゚)
「試し酒」は、うん、禁酒が裏目に出たのかもね、酒飲んでるところがちょっと普段の感じと違っていた。この後打ち上げしているときの禁酒解禁した感じが高座で再現できれば、いつもの感じに戻ると思うけどwww

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